『伝えたい日本のこころ』より「山中鹿之介 三日月に祈る」
尼子十勇士筆頭、山中鹿之助幸盛(1545~1578)の逸話です。
永禄8年(1565)、毛利の大軍が尼子氏の本拠地月山城を包囲して半年、鹿之助は山の端にかかる三日月に祈りました。「三日月よ、我に七難八苦を与えたまえ」。
幼い頃から弓馬や軍法を学んだ鹿之助は、初陣で勇名をとどろかせ、三日月の前立て、鹿の角の脇立ての兜を着用して戦場を疾駆、その豪勇ぶりで敵兵を震え上がらせていました。しかし鹿之助一人がいかに強くとも、追い詰められた尼子氏の勢いを盛り返すことは難しく、鹿之助には苦難の道が待っていました。
永禄九年、月山城は落城、その後十年間、孤軍奮闘の鹿之助はただ一筋に主家の再興を願い、あらゆる手段で毛利との抗争を繰り広げました。
あるときは明智光秀に近づき、あるときは織田信長の兵を借り、一度などは、海賊将軍奈佐日本之助の力を借り、隠岐へ渡り、領主佐々木為清の兵を併せて出雲に侵入、毛利方の城十五カ所を手中にしたこともありました。しかし、天正六年五月、主君尼子勝久が切腹するにおよび、ついに鹿之助の夢は潰えました。
島根県安来市の月山富田城跡には、あえて試練の道を選び、辛苦に耐え、主家への忠義を貫いた山中鹿之助の銅像や供養塔があり、その武勇を今に伝えています。