「伝えたい日本のこころ」

伊勢神宮 勅使参向






伊勢神宮 勅使参向





「伝えたい日本のこころ」第六話。
お伊勢さんは、もっとも厳粛な神事の地でありながら、普段は魅力満載のパワースポットとして私たちに開かれています。風光明媚、美味しいものもいっぱいです。
そのお伊勢さん、緊急事態にはこのような役割があるーー今日は東京でも、感染者数がかなり減りましたが、今、日本じゅうの社寺で国家安泰、除災招福の祈祷が粛々ととり行われていることにも感謝の心を寄せて参りたいですね。


十三世紀前半、強大な勢力を拡大した蒙古は、ユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国を築きました。やがて高麗(朝鮮)を攻略して国号を元とあらためると、日本にも服属をせまる使いをたびたび送り込みます。
当時の鎌倉幕府執権は北条時宗。時宗は朝廷にうかがい、たび重なる元の申し入れを毅然として拒絶しました。そして元軍を阻止するために、北九州ほか諸国の警備と国防の強化につとめます。
かつてない国難です。朝廷では国難打開、敵国攘夷の祈祷を伊勢神宮をはじめ、諸社寺に命じると同時に、心をひとつにして敵国を退けるときであると人心にうったえ、国民の士気を高めることに尽くしました。
 
文永五年(1268)、朝廷は伊勢神宮に勅使をおくり、国難到来を奉告します。
このとき亀山上皇が浄書された祈願の宣命には、「みづからの命にかえて国難に代えさせたまえ」と、ご覚悟が記されてありました。
文永十一年(1274)、元が四万余りの軍勢、九百余隻の軍船で対馬、壱岐を侵略、やがて九州本土の博多へと攻め込んでくると、そのすさまじい兵力の前に、日本軍は苦戦をしいられ、厳しい戦況に耐え続けました。
ところがその晩、奇跡が起こりました。暴風雨によって元の軍船が大破し、撃退に成功するのです。吹き払われたかのごとく、元の大船団が消えうせたのを見た人々は、国のために心をひとつにして戦いぬいた国民の祈りが通じ、「神風」が吹いたのであろうと信じたのでした。


人類を襲った新型ウィルスとは、「闘う」のではなく、「共存する」のだ、
といいます。生活スタイルも、考え方も変えていかなければならない、新しい時代が来るのだと。
それならば、こう思います。
今までは、ネガティブに使われることも多かった「神頼み」や「神風」ということばも、この際、太古よりある自然崇拝の原点に帰り、ちゃんととらえなおしてみてはどうか、と。
“神の風"、“神に頼む"――人類の黎明期からあると思われる、その本来の意味、厳かな威力のある言葉としての役割が、正しく純粋に取り戻されていっても良いのではないか。そんな風に思うのです。ご加護をと祈ります。




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