「伝えたい日本のこころ」

称名寺「青葉の楓」


称名寺「青葉の楓」




称名寺「青葉の楓」





「伝えたい日本のこころ」第八話は、
謡曲「六浦」より「青葉の楓」の物語です。
日本文化と、継承される人々への、敬意、誇り、粛々たる感謝の念を添えてお届けいたします。


 東国行脚を思い立った都の僧が、鎌倉を経て六浦港にたどり着き、安房清澄山に詣でる舟を待つあいだ、称名寺に立ち寄りました。そこで今を盛りと錦のごとくに紅葉する木々を眺めていると、一本だけ、青葉のままの不思議な楓がありました。すると、どこからともなく里の女が現れ、語りました。
「昔、中納言冷泉為相卿れいぜいためすけきょうがお越しになった折は、本日とはま逆で、山々は青葉なのにこの木だけみごとに紅葉しておりました。それを見て、為相卿は一首お詠みになりました。

 いかにして この一本にしぐれけん 
      山に先立つ 庭のもみじ葉
(どうしたのであろう、この木だけに葉を染める時雨でも降ったのであろうか)

 この木にとって、高貴なお方からお褒めの歌をいただいたのは身に余る光栄でございました。もはや功成り名を遂げた上は身を退くのが天の道、それ以降、紅葉するのをやめたのでございます」女は自分はこの楓の精であるといって姿を消しました。
 鎌倉時代中期から後期にかけての公卿冷泉為相卿は、歌道冷泉家の祖として知られていますが、この謡曲「六浦」は文明十七年(1485)、尭恵という歌僧が称名寺を訪れたときに見聞し、「北国紀行」につづった伝説をもとに脚色されたものと伝えられています。


身を退くのが天の道――
こうしたお話は、日本特有の物語のひとつですね。
大学時代に当時ブームであった日本人論から、
羽衣伝説やかぐや姫などの「白鳥処女説話」という話型を研究したのですが、
身を控える、消え去るエンディングというのは、なかなか興味深い題材です。




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