「伝えたい日本のこころ」

小林一茶 痩蛙まけるな一茶是に有






小林一茶 痩蛙まけるな一茶是に有





「伝えたい日本のこころ」第十話です。
優しい気持ち、心と心のかけはし=立場の弱いもの、頼りの無いものに心を寄せることの大切さ、豊かさを、時代を超えてイメージさせてくれる一茶の一話一絵、よかったらご覧ください。
私たちには、何ができるか、ですね。


江戸時代三大俳人の一人、小林一茶のお話です。
信濃国柏原村(現在の長野県信濃町)の農家の長男に生まれた一茶は、3才で母をなくし、寂しい少年時代を過ごしました。8歳で義母を迎えますが、15歳のとき、可愛がってくれた祖母も亡くなります。
義母になじめなかった一茶は、やがて江戸に奉公に出されました。そして奉公先を転々とするうち、俳諧師となり、30歳の頃から、全国を旅して俳句修行に明け暮れるようになりました。
風雅を追い求めるのではなく、日々の事がらを素直に詠んだ句風は「一茶調」と呼ばれ、次第に一目置かれるようになります。

痩せがえる 負けるな一茶 これにあり
我と来て 遊べや親の ない雀
目出度さも ちう位也 おらが春 

50歳になると、一茶は故郷に帰り、結婚して家を持ちます。しかしその喜びもつかの間、病により手足が不自由となり、さらには授かった4人の幼い子供と妻までも、病気や事故で立て続けに喪ってしまいました。

これがまあ ついの栖か 雪五尺

一茶は生涯にわたり、苦境にありながらもその人生を受け入れ、弱いもの小さいものに心を寄せ続けました。
またその一方で、農家や武家など、太平の世を支える人々への感謝も忘れなかったといいます。
貧しくとも逞しい一庶民として、親しみやすくこころに響く俳句を詠み続けた一茶、その温かなまなざしは長く愛され、今も私たちを励まし続けています。


お歌は大好きなのですが、実は、カエルは苦手です。とても苦手なので、描くのも怖いくらいでした。でも、頑張るカエルたちの姿ですから、一生懸命お描きしました。
ところで、このお話を読むとき、あなたは一茶目線でしょうか?それとも痩せガエル目線?
甘ったれで生きてきたわたくしなどは、完全に痩せガエルサイドですが、絵を描きながら思ったことは、大きいカエルも大変なんだろうなあ、ということ。大きいカエルは寒気がするほど特に描くのこわかったのですが、その分、ヒール役の心の中のことを考えたりもいたしました。
みんなみんな頑張っているだけ。
それをただ温かく見守る心の余裕、一茶のやさしい眼差し、見習いたいですね。
その一茶の表情ですが、資料をそろえてくれたS田が、彼の人生はとても苦労の多い、辛いものだったと切々とレクチャーしてくれたので、こんなふうになりました。いかがでしょうか。

一茶記念館
http://www.issakinenkan.com/about_issa/




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