「伝えたい日本のこころ」

おくのほそ道 象潟(きさかた)






おくのほそ道 象潟(きさかた)





「伝えたい日本のこころ」第十四話です。
先日、撮影で千葉におうかがいしたとき、インターを降りた道路沿いの植栽にねむの花が咲いていました。久しぶりの旅だったことで、「奥の細道 象潟」のこの絵にこころ誘われました。
合歓の花を詠んだ歌と、芭蕉の奥深い旅を教えてくださったのは、松陰神社宝物館の樋口尚樹先生です。松陰先生もこの地を旅し、かつて芭蕉がみた地形と自分が今見る地形は違うのだと、感慨を旅日記に綴っているそうです。歴史と旅は深いかかわりがありますね。樋口先生はジオパークの関係でお訪ねだったとか。

しかし、雨の季節、まだまだ雨は続くのでしょうか。
江戸時代前期の剣豪・丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)をある月刊誌の連載挿画でお描きした直後、ゆかりの球磨郡の映像をみて嘆きました。毎夏、日本武道館に集まる少年剣士らも多く暮らす、剣聖の故郷です。
人生には避けられないこともあるのだと思いますが、少しでも災害の被害、悲しみの少なくなることを祈ります。


『おくのほそ道』で名高い俳聖・松尾芭蕉は、1644年、伊賀国(現・三重県西部)に生まれ、19歳の頃に俳諧の道に入りました。やがて江戸に移り住んで俳諧師となってからは、日本各地を旅しながら独自の作風を深めていきます。
長編紀行『おくのほそ道』は、東北・北陸地方をめぐる、5ヶ月約600里を踏破した芭蕉一行の紀行文です。
この旅の最北の地である象潟(現・秋田県にかほ市)は、平泉・松島と並んで旅の主要な目的地の一つでした。1804年の象潟地震により今日のような陸地となりましたが、かつてはみちのく最高峰の鳥海山を背景に潟湖をたたえた景勝地で、八十八潟・九十九島の歌枕として知られていました。

———俤、松島に通ひて、また異なり。松島は笑うがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくわえて、地勢魂をなやますに似たり。

 象潟や 雨に西施が ねぶの花 
 

象潟の絶景を前に、雨に咲く合歓の花を中国春秋時代の薄幸の美女・西施の面影にたとえたこの名句は、漂白の詩人・松尾芭蕉の詩魂と情熱を、しめやかに今の世に伝えています。


芭蕉は三重県生まれ。
ふるさと三重には「合歓の郷」というリゾート地がありました。時々家族で出かけたものでした。父と母はゴルフ、わたくしども子供達はプールとかテニスとか、美しい伊勢の海を少しスケッチしたり。
検索してみると、いまは、ネム・リゾートというのですね。グランピングもできるのですね〜〜帰省して家族で伊勢志摩の夏休みは、しばらく先々のお楽しみ、です。
そのかわり、三重からは、いろいろなマスクやウィルス撃退グッズや、美味しい伊勢茶、伊勢国の名産品、たくさんの差し入れが届きます。幼なじみには、疫病退散の呪文も教えてもらい、毎日となえています。ありがたい。涙松です。
少しだけ動きながらも警戒を緩めず、生きてあることへの感謝のこころとともに、終息を祈ります。


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