「伝えたい日本のこころ」

米百俵の精神 小林虎三郎


小林虎三郎 米百俵の精神 - Kobayashi Torasaburo




米百俵の精神 小林虎三郎





「伝えたい日本のこころ」第十三話です。
今週は、今、動画の編集作業がすすんでいる
ドイツ・トリアー版絵本のプレゼン動画で朗読した「長岡藩士・小林虎三郎 米百俵の精神」を。
日本武道館発行月刊『武道』表紙絵では、このお話とともに「長岡花火『白菊』」をお描きしています。
それぞれに、教育のために、平和な国づくりのために、
そして人々の幸せな未来への祈り、鎮魂という新潟県長岡市の歴史ものがたりです。


慶応四年(1868)、北越戊辰戦争で新政府軍との戦いに破れた長岡は焦土と化し、領民は困窮を強いられました。貧困と混乱のさなか、明治三年(1870)、窮状をみかねた支藩三根山藩から見舞いとして百俵の米俵がおくられてきました。
食べるのにもこと欠く長岡藩士たちは、その米が分け与えられるものと喜びました。
が、ときの長岡藩大参事小林虎三郎は藩士たちに意見しました。
「百俵の米もみなで食えばたちまちなくなる。しかし、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる。国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を立て、人物を養成するのだ」

文武総督でもあった虎三郎は、人材育成こそが、敗戦国の復興にとって肝要である、米を売って学校をつくる資金にすべきであると主張しました。これを聞いた藩士たちはいきり立ち、抗議しました。
虎三郎は反論する藩士たちを命がけで説きふせ、ついに押切りました。
こうして米百俵を元手に開校された国漢学校では、士族の子弟だけでなく、農民や町民の子弟も入学が許可されました。洋学局や医学局も設立され、教師や教育課程も充実、ここから山本五十六らたくさんの優秀な人材が輩出されたのでした。
目先のことではなく、未来のためにーー
小林虎三郎の米百俵の精神は、今の世に連綿と語り伝えられ、人々を勇気づけています。


混迷をきわめる難しい現代社会への、
偉人たちからの尊いメッセージとしてご紹介したい、と願いお描きした作品です。
人づくりは街づくり、国づくり、
コロナウィルスとの戦いが続く今こそ、
ぜひあらためてご一読いただきたい物語であると思います。

歴史のことは、人生のこと、こころのこと、そして未来へのメッセージ。
こころ尽くし、命を賭して生きた人々からの、大切な大切な伝言なのではないでしょうか。


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