「伝えたい日本のこころ」

太田道灌と少女の歌






太田道灌と少女の歌





「伝えたい日本のこころ」第十六話です。
「伝えたい」を代表する「太田道灌と山吹の少女」、幼い頃「日本の美しい話」などといった子ども向けの本で読んで好きだったお話のひとつ、よろしければ、皆様もあらためてお楽しみください。


江戸城を築いた太田道灌は、若いころ、狩猟が大好きでした。いくさのないときは、野や山に寝て、いのししや鹿をうってくらしていました。
ある日道灌が、二、三人の家来をつれて、狩りにでたときのことです。急に雨が降ってきました。近くに百姓屋があったので、蓑をかりようと、軒下にかけこんでたのみました。蓑というのは、わらでつくった、今のレインコートのようなものです。
すると、ひとりの娘が白い花をつけた山吹の花を一枝もってでてきました。娘はていねいにおじぎをすると、何もいわず、その枝を道灌にささげました。道灌はなんのことかわからず、むっとして城に帰りました。

帰ってから、家来のあつまったところで、そのことを話すと、学問のある家来がいいました。「娘が山吹の花を殿にささげましたのは、蓑のないことを花にいわせたのでございます。むかしの和歌に、『七重八重 花は咲けどもやまぶきの みのひとつだになきぞかなしき』というのがございます。山吹は七重にも八重にも美しく花をつけますが、実がひとつもならないのはかなしいことだという歌です。娘はおかししたいけれど、貧しくて、みのが家にないのだと伝えたかったのでしょう。」
自分の無学を恥ずかしく思った道灌は、それからは弓矢の稽古だけでなく、いっしんに学問にはげみ、和歌の名人になったということです。


山吹は、一般には山吹色のお花ですが、歴史家の先生の考証に従って、一重の白山吹にお描きしました。これは初期の作品で、まだ岩絵具をたくさん持っていなかったので、お色出しに苦戦したことも懐かしい思い出です。


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