お知らせ

『武道』4月号「あはれ鉢の子 良寛と菫」






日本武道館発行月刊『武道』令和7年4月号、本日発刊です。表紙には、「あはれ鉢の子 良寛さまと菫」をお描きしました。





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 春の野に 菫つみつつ 鉢の子を





 忘れてぞ来し あはれ鉢の子





待ちに待った雪国越後の春、良寛は道端で菫つみに夢中になりました。気づくと、大切な鉢の子(托鉢につかう器)が見当たりません。八方探しましたがどこにもありません。やがて、良寛が困っていることが村中に伝わり、老若総出で探そう!ということになったちょうどそのとき、





「これ、良寛さまの鉢の子じゃないかね」と届けてくれたものがありました。喜んだ良寛はこう詠みました。





 鉢の子を わが忘るれど 人とらず





 取る人はなし あはれ鉢の子





良寛(1758〜1831)は出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)の旧家に生まれました。父は井伊家の城下町与板町(現・長岡市)の士分同格の富豪出身で、養子に出て出雲崎名主と神官の職をつぎ、国学の上に俳諧に通じた文化人・風流人でした。子供時代の良寛も書物に夢中になり、中国の難解な経典をよどみなく読むなど、父も驚くほどであったいいます。





その一方、大変繊細なこころをもった良寛は、名主見習いになってわずか数ヶ月で現実社会に矛盾を感じ、仏門に入ります。十八歳の頃でした。修行と諸国遊歴ののち、越後に帰った良寛の残した数多くの歌は、慈愛のこころと善良な意志に満ちた良寛の生き方をあらわし、多くの人々に愛され、顕彰され続けています。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜新潟県長岡市のJR長岡駅では、菫を手にした良寛さまの立派な銅像と句碑が私たちを迎えてくれます。長岡は良寛さまのふるさとのひとつ。全国良寛会、長岡市立科学博物館、長岡市与板町のみなさんをはじめ、良寛さまゆかりの地域のたくさんの方々にご指導いただき、菫草は雪割草にしなくとも、すみれでよい、となり、また、越後三山(新潟県南東部に位置する八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳)の3つの山を描き入れることもできました。





笑顔の良寛さま、良寛を愛する日本全国の方々にお楽しみいただけますように。






一話一絵「伝えたい日本のこころ」&まみのえ日記

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