「伝えたい日本のこころ」

野口英世 病原菌の研究に生涯を捧げる






野口英世 病原菌の研究に生涯を捧げる





「伝えたい日本のこころ」第五話は、野口英世です。
幼い頃、母と読んだ'てんぼうびんぼう'の志に胸熱くしたものでした。偉人伝シリーズでは、ナイチンゲールやシュバイツァーも懐かしいですね。
いつの時代にも、公益のために命をかえりみずに尽くした人々があること、繰り返し子どもたち、次世代の皆さんと共有していきたいですね。
絵筆とともに感謝の祈りを捧げます。


1876年(明治九年)、福島県猪苗代町に生まれた野口清作(のちの英世)は、一歳半のとき囲炉裏に落ちて、左手足に大火傷を負いました。
命は助かりましたが、左手の指は瘤のように癒着し、「てんぼうてんぼう」と遊び仲間にからかわれて育ちます。
そうした幼少期に、清作は決心しました。「手が不自由でも懸命に勉強して必ず立派な人になる」
清作の家は貧しかったので、朝、魚をとってきて売り、筆や墨を買いました。夜には、冬は炉の焚き火をたよりに、夏は学校の小使室のランプで本を読みました。そうして小学校を優等で卒業、清作の努力を応援する恩師らの支援で、左手の手術を受け、ある程度左手が使えるようになります。
そのとき清作は、医術が人を助ける仕事であると知り、医師になって世のために尽くしたいという志を立てました。
不撓不屈の努力と支援者の援助で医師試験に合格、その後、世界的細菌学者としてロックフェラー医学研究所を拠点に活躍し、ノーベル賞の候補にあがります。そして1928年(昭和三年)西アフリカのアクラ(現ガーナ共和国)で黄熱病の研究中に感染し、51歳でこの世を去りました。
「志を得ざれば、再び此地を踏まず」
磐梯山と猪苗代湖に抱かれた生家には、上京の際に決意を刻んだ柱が残され、偉人の尊い生涯を今に伝えています。


野口英世博士については、こちらがおすすめです。
今回はお伺いできませんでしたが、記念館も偉人にふさわしく立派です。

内閣府ホームページより「野口英世の生涯」
https://www.cao.go.jp/noguchisho/about/lifetime.html




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