「伝えたい日本のこころ」

野中兼山——海に捨てたはまぐり






野中兼山——海に捨てたはまぐり





「伝えたい日本のこころ」第九話です。
夏の甲子園大会中止発表に日本じゅうが心痛めた中、三重県桑名市から、心温まるニュースが届きました。
もと高校球児が経営するはまぐり料理店では、高3限定で、はまぐりのフルコースが半額になるそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200525-00010001-mietvv-l24

桑名市は天然はまぐりで昔から有名です。
美味しいはまぐり料理、桑名の球児たちの、
少しでも励ましになれば、ですね。
話は変わりますが、はまぐりといえば、
まみのえでは桑名ではなく、土佐のこのお話、
未来のために、です。


江戸時代のはじめの頃、土佐藩に野中兼山という家老がおりました。
ある年、江戸に出かけて行った兼山から、土佐にいる友人に手紙が届きました。「江戸からはまぐりを持って帰ります。土佐では獲れませんが、たいそうおいしい貝です。楽しみにしていて下さい」。それを聞いた友人たちは大喜びで兼山の帰りを待ちました。

いよいよ高知の町近くの浦戸の港に、はまぐりを積んだ船が入ってくる日になりました。「今日は兼山先生のおみやげのはまぐりがごちそうになれるぞ」。迎えにきた人々は、皆うきうきと船が港につくのを眺めていました。
ところが、旅から帰った兼山は、すぐさま小舟にはまぐりを運び移させました。そして、上機嫌で出迎えた友人たちを前にして、船頭に命じました。「はまぐりをひとつ残らず海にほうりこめ」。
命令通りはまぐりは、海に投げ込まれてしまいました。「これはいったいどうしたことですか」との問いに、兼山は答えました。「こうしておけば、私たちばかりでなく、私たちの子や孫まで食べられますよ」。

南学の儒者であり政治家であった兼山は、藩外から魚類や植物をもちこんで育成させたほか、灌漑治水工事や築港にも力を注ぐなど、土佐を豊かな国にするために知恵をしぼり、生涯をかけて忍耐強く尽くしたのでした。


数年前、
「伝えたい日本のこころ」の講義を聴いてくださったある若いお嬢さんが、この話を引いて、
「日本には昔から、SDGsの取り組みがあったのですね!誇らしくなります」
と公のイベントで発表してくださったことがありました。

アフターコロナ、いろいろなことを考えさせられる今、
真に持続可能な未来を築いていかれますように、
皆が心安らかに暮していかれますように、
と絵筆とともに祈念するばかりの毎日です。
そして、球児たちの汗と涙に、陰ながらエールを送ります。
彼らがこの試練を乗り越え、未来の誰かの明るい笑顔のために、賢く前向きにたくましく、笑顔で生きていかれますように。




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